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10年ぶりに、ジョンスペンサー
2009-10-12
10年ぶりに聞きましたjon spencer blues explosion
Wさんが高校のときに教えてくれたけれど
そんときはぜんぜんわからなかった
ジョン スペンサー ブルース エクスプロージョン
不思議なバンド名
わけわからない音楽を何でも知っていたWさん
そのマニアぶりにリスペクトしてました
Wさんは高校卒業後、上野の小さなCDショップでバイトした
そこはこじんまりとした店で、定員が店内に流す音楽を選んだり、自分がセレクトの棚を作れた
彼女は好き勝手に棚を作ったらしい
マニアックすぎて
まったくもって売れない
しかし、バイトの身
気にしない
好きな音楽をかけて、8時間
まばらなお客がノンアルコールでちらほら、
不思議なCDシェルフ、
上野のダンスホール
そりゃ、つぶれるよ(ちなみにWさん自身がCDを自分の店で買いまくるので経営に貢献したとは言うが)
あーその棚、どんなCDが並んでた
「個の編集」というものに最近強い関心があります
生命力のあるもの
2009-09-22

なんかの本に書いてあった
生命力
生命力とは生きているということ
生きているということは絶えず変化し続けること
しかし、その変化は目には見えないこともある
目には見えないけれども変化しているもの、それも生命力
そして、死を感じさせるもの、それも生命力
また、通常は死んでいると思われているもの、あるいは生きていないと思われているもの、でも
生命のある誰かから生命を吹き込まれることもある、と思う
この生命力を持っているもっとも基本的で身近な存在は自然である
草、木、花のようなものである
これはモノヅクリを行ううえで、常に思い出すべき事象である
生命力、言いかえができそうだ
体温
あるいは
魂
しかし何が言いたいのかというと、
私は自分の職業を全うするうえで、以上のものへの意識が欠損している、ということだ
それを会得するということが私の仕事にはとても大切なことのようだ
フリーダカーロに刺される目
2009-07-21

「メダリオンをつけた自画像のストラップをつけた携帯電話」 2009 個人蔵
メキシコ20世紀絵画展 世田谷美術館
フリーダカーロの作品は一度どうしても見たかった。たとえ世田谷美術館に1点しか展示されていなくても。
「メダリオンをつけた自画像」(1948)の中のフリーダカーロは白い衣装を身にまとっている。これは結婚式のドレスだそうだ。しかし、実際の彼女の結婚式ではこのドレスを着てはいないという。
この絵画を制作しているとき、夫は、他の女性と関係を持っていたという。
なぜ、彼女はこの白い衣装を来た自分を描いたのか、という謎。
白い服。死装束?
ミステリアスなオーラが漂う。
絵画の右上にあるサインは血の赤で書き付けられている。
目には3粒の白いしずくのようなものがある。涙なのか?
胸にぶら下げたメダリオンには鳩が描かれる。これは平和への祈り。
まっすぐこちらを見つめる目に飲み込まれてしまう。
もっと作品が見たい。
名古屋の某雑居ビルに潜む
2009-07-05

人気も無い、車もあまり通らない。雑居ビルが並ぶ名古屋のある通り。
目当てのギャラリーが見つからない。

だってこんな古い雑居ビルの中にまぎれているんだもの!!!
ここは名古屋市のギャラリーフィールアートゼロ。
すてきな空間、すてきなスタッフ、すてきな展示。
打って、走って、守って、イチローのようなギャラリー?
今回はモチヅキミチヒロ氏の展示会(詳細はネットサーフィ〜ンで調べてね)。
すてきな女性が詳しく教えてくれる。(ふんふん、望月氏はすごい人だ)。
次回の企画についても教えてくれる(えっ加守田章二の展覧会をやるって!)
最近の旅行について教えてくれる(内田鋼一氏らとエジプトに行ったって!)
他の名古屋のオススメのギャラリーをたくさん教えてくれる(優しい!)
てなことで、名古屋に行ったらフィールーアートゼロ。
ちなみに2階には雑貨ショップ、3階には古道具&カフェ、4階はギャルソンなどを扱うファッションブティック。雑居ビルの中にユニークな価値観が雑居しています。
仕事の名古屋出張で前のり、行けて良かった。ホテルへと向かう帰りに押してもらったギャラリーに入る。
「こんちはー」というと「ひさしぶりー?」って、1回も着たことがありませんよー、というと、あれそうだっけーと、気さくなおば様とやりとり。しばらく談笑して帰る。
ひつまぶしをかっ込み、「サラリーマンは辛いぜ、自由をくれー」を思いつつ、熱いお茶を飲む。
ルーシーリー展、2つのみどころ
2009-04-15
「数が少ないぞ」。六本木の美術館で開催されているルーシーリー展に行って来た。率直な感想は、ずいぶんとルーシーリーの作品が少なく残念だった。肩透かしを食らった。
目玉作品がポスターになっているピンク色の作品くらいしかなかった。あれでは、ルーシーリーの魅力は十分に伝えられていない。うつわのフォルムや生地の深い色合いなど、十分にわからない。なぜ、これほど作品が集まらなかったのか疑問が残る。
だが、陶製ボタンはかなり充実していた。見たことのない形、色がずらりと並び、とても興味深かった。イッセイミヤケの服に付けられて展示されているのもなかなかよかった。だが、メインの展示が寂しい。
しかし、それでもこの展覧会には価値があった。まず、ルーシーリーのインタビュー映像が見られるということだ。轆轤を回す姿、花瓶の口と胴体を接合する瞬間など、未知なる発見があった。特に、窯から作品を出す、いわゆる「窯出し」がすごい。次から次へと、お宝が出てくる感じ。ルーシーが最深層にある作品を取り出すために、落っこちそうになる姿はこっけいだが、いとおしい。そう、映像の彼女は、85歳(75歳?)というおばあちゃんなのだ。65歳まで、バーナードリーチが認めなかったため、作品が売れず十分な収入でなかったというレポートがあったが、これはすごいことだ。なんという制作欲、そして生命力。非常に感銘を受けた。作り続けるというその行為が何より重要なのだと思った。
そして、この展覧会のもうひとつの価値は、ガンペールという優れた木工作家に出会ったことだ。ぼくは、1番最初に見られる硝子越しにある木のうつわに心を打たれた。それは、高台が小さく、天に向かって口が広がっていく大きなうつわ。形ははシンメトリーではなくわずかにゆがむ。生地は、木目こそ際立っているが、ゆがむ形のせいか均整の取れた流れではなく、内側にはふしのようなものがあり、一部木目の流れを破壊している。
これは、日本の信楽焼き、もしくは伊賀焼きと共通する美意識で作られていると直感した。つまり、形はゆがみを愛で、肌合いは自然に任せるという美意識。無垢の木は乾燥すると、自然とゆがんでくる。ガンペールも作品を削った後、最後はその自然のゆがみに任せるという。信楽・伊賀の思想を木工で実現している。とかく、自然を人間が制圧するという伝統が地盤のヨーロッパの作家が、このような自然に任せるという東洋的な感覚でモノづくりしていることに驚いたが、そもそも単純にそのうつわの美しさに感動してしまった。そもそも単純にうつわの美しさに感動するという経験が最近なかったので、新鮮だった。
だが、やはりルーシーリーの小ぶりな椀が欲しいのだった。一体、いくらなんでしょう。


