何必館はバスで再び今出川方面へ戻らなければならない。今出川を通り越し、河原町で下車する必要がある。バス停には中学生の群れ。白いワイシャツ、首にぶら下がっているネクタイ、腰まで下ろされたズボン、あるいは短いスカート、かかとのつぶれた革靴、バッグは地面に放り投げられてくしゃくしゃになった鞄。記号のような中学生たちだ。風で揺れる白いワイシャツがまぶしい。
バスは定時にやってきた。「可必館」とは、館長である梶川芳友氏がコレクションを展示した美術館である。ユニークな名前のゆえんは、その内容をホームページより以下、引用。
人は定説にしばられる。
学問でも、芸術でも人は定説にしばられ
自由を失ってしまう。
定説を「何ぞ必ずしも」と疑う
自由の精神を持ちつづけたいという願いから
「何必館」と名づけました。
何必館が美へのささやかな貢献となればと
希っています。
「何ぞ必ずしも」の精神は実に快い。京都という伝統ある土地で、こういう革新的な思想は気持ちがいい。
20分くらいバスに揺られていただろうか。にぎやかな通りに入っていく。PM1:00。河原町下車。地図を頼りに、その可必館へ向かう。うなぎの寝床、縦に細長い京都の町並み。小さな商店がびっしりと敷き詰められた通り。時おり、甘味所に誘惑されるが、まだ休めない。観光客をすり抜け、歩みを進める。

鴨川が視界に広がる。川岸に等間隔を維持して座り込むカップル。何を語らうのか。愛について以外の何ものでもあるまい。
そんな風景が私の脳を活性化したのだろうか。ある1つ、行ってみたい場所が閃いた。可必館へ行くためにはこのまままっすぐ進まなくてはならないところだが、鴨川を超えて左折する。しばらく進み、細い路地へと入る。裏通りに出る。それは急に出てくる。

北欧のインテリアセレクトショップ、スフェラ。2階にはブックショップとギャラリー、地階にはレストランがある。ビルはスウェーデンの設計士がデザインを手掛けている。白いシンプルな空間に、家具とうつわが並ぶ。京都の有次でも活躍している作家のアルミカップをひとつ購入する。すっ、とした、たたずまいが気に入った。
包んでもらう間に、2階へ向かう。ここは新書、古本、入り乱れたデザイン関連書籍のセレクトショップになっている。こういうインテリアショップのブックコーナーというのはオーナーの偏った価値観が反映されているから、面白い。それは偏っているから。オーナーの意識が高ければ高いほど、良書が集まる。
おっ、スウェーデンのアノニマスデザインの道具を集めた写真集。ちょっと高いけれど買ってしまえ。
これからはこの辞書級のヘビーブックを抱えての移動となる。自由な両手の妨害、ちょっといやだ。旅は身軽がいい。
再び、何必館へと舵を切る。大通りへ戻るとあいかわらず観光客で賑わっている。ご老人と外国人、若いカップル、ごっちゃまぜである。PM2:00。顔を上げると、それは現れる。


「何必館・京都現代美術館」
―いらっしゃいませ。
―チケット一枚ください。
―どうぞ。ごゆっくりご覧になってください。
二人の声のやり取りは、しんとした空間に響く唯一の音であった。外の賑わいとは無縁の静寂があった。
天井が高い。ふと、誰もいないはずの背後に人の気配を感じた。振り返ると、天井からつるされた巨大な白い布に映った魯山人がぼくを見下ろしている。となりには、洋画家の山口薫氏、そのとなりには日本画家の村上華岳氏。何必館の主が熱心に集めたのは、この3氏の作品である。それにしても魯山人の顔はいつ見ても頑強な岩のようだ。
1階ホールにはこの垂れ幕と抽象絵画が2点飾られている。これは一体?3氏うち、誰の絵画だろうか。絵の隅に、「パウルクレー」。
京都とパウルクレー。これは偶然なのだろうか。漠然と八木一夫を思い浮かべる。いわゆるオブジェ陶といわれる焼物による抽象表現を一気に推し進めたパイオニア八木一夫。記憶が正しければ、彼は、京都五条にて制作活動を行っていたはずだ。若き八木一夫が清水寺にほどちかい五条坂を作品を持って歩いている写真を見たことがある。彼は、当時欧州で流行していたシュールレアリスムに強い影響を受けていた。その作家の中にはパウルクレーもいた。ぼくはパウルクレーの絵を見ながら、八木さんがこの絵を見たらどんなことを考えるだろうということばかりが気になってしまった。いまここから五条はさほど遠くはない。
可必館はビルである。ワンフロアはそれほど広いわけではなく、エレベーターで2階、3階、4階、そして地階へと移動していく美術館である。
しかし、今思い出しても4階はこれまで体験したことのない独特な空気が流れていた。
それはこんな空間である。

エレベーターの扉が開くと庭があるのだ。ビルの4階に。
誰もいない、本当に静かな空間。庭の部分だけ天井が開いていて光が差し込む設計になっている。それが、地面に生えた緑の苔をなまめかしく照らす。近くにあるソファで庭を見ながら休息する。しかし本当にいくら時間が経過しても、人が来ない。スタッフもいない。美術品だけがある。4階に庭がある。これは不思議な体験としか言いようがない。
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