Ads by Google

 --------
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
カテゴリ :スポンサー広告 トラックバック(-) コメント(-)

エレカシと考える、現代の男の生き方とは

 2009-04-13
田に水が張られた。稲作が始まる。
3本の桜の木が土手に等間隔に立ち、ひらりと花びらが散っている。
「田に水を入れすぎたからすこし抜くべ」と農家の親父2人が話し込んでいる。
東京は、夏日らしい。こちらもずいぶんと暑い。
今夜はカエルが大合唱するだろう。

この土地はずっとこんな4月を延々、何十年、何百年と繰り返してきた、と考えてみると、不思議な充足感が得られる。なぜだろう。ぼくはこの町が好きなのだろうか。



日本武道館。4月11日はエレファントカシマシのライブだ。
女性が7〜8割。ぼくはもっと男が多いと思っていたのだが、そういうわけではないようだ。ライブではさまざまな曲が2時間半、演奏されたが、最近リリースしているメジャーっぽい、メロディアスな楽曲は、正直、そんなに心に響いてこない。

胸に突き刺さってきた曲は
「男は行く」


「男は行く」は、イスに座った宮本浩次のギターを掻き毟る狂気なギターリフから始まる。



「男よ行け、男よ立て、おれはお前に負けないが、お前もおれに負けるなよ」
「世間の風は重たいが、おれはやっぱり戦うよ」


歌は延々延々叫びっぱなしで、これは、歌というより、叫ぶために背景に音がついているようなもので、宮本氏の語りを聞くものである。



世間と自分について、考えない人はいない。例えば、世間に溶け込めない自分、世間に溶け込みたくない自分、世間を馬鹿にする自分、世間に馬鹿にされたくない自分、その世間との関係をいつも意識してぼくたちは生きる。宮本氏は、この楽曲を作ったときに、上記のどの世間との関係にいたかは、わからないが、ぼくはこの曲を聞くたびに、宮本氏の深い孤独を感じる。端的に言えば、その孤独に、不思議と共感してしまう。

しかし、孤独でない人はいない。人はみな孤独だ。彼もぼくも、他人も、AさんもBくんもCちゃんも、D先輩も、E社長も、みな孤独だ。
孤独は敵か?味方?そんな問いにさえ、ぶつかる。そして、「男よ行け」だ。男とは、男の役割とは、男ってナンだ、はて男とは?である。



現代、男として生きるということはどういうことか。特に、男として美しく生きるとは何か。この自由な世界で、男は、男としての行き方を、自ら決めて、死に至らなければならない。彼は「暑中見舞〜憂鬱な午後〜」という曲の中で、「俺の両腕いまだ勝利なく、されどこれという敗北もなく、豊かな国の流浪の民よ」と歌っている。

しかし宮本氏は自らの生き方を発見したようだ。週刊文春のインタビューで「自分は歌係」と言っていた。歌が得意だから、歌を一生懸命歌うということらしい。彼は43歳の独身である。

≪ トップページへこのページの先頭へ  ≫