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棚橋祐介、侘びた洋食器

 2008-05-04
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はっと胸を打つものは、これだけモノがあふれる時代の中でさえ、そう多くは無い。

ぼくはその時、たまたま仕事で東京ミッドタウンへ向かっていた。約束の時間までまだ20分ほどある。エスカレーターを上がっていくと、目の前に品の良い雑貨屋が現れ、導かれるように中へ入った。

ふと、ある棚の一角に大皿がかけられている。茶色い貫入がまるでくもの巣のように皿全体を多い、暗い影を落としている。一瞬、骨董品かと思ったが、ここの店では新品しか取り扱わない。小さくしろいプレートに「棚橋祐介」とある。約束の時間が差し迫っていたので、すぐに店を離れなければならなかったが、こころに厚い布をかぶせられたような感じが仕事中、ずっと続いていた。



二子玉川は穏やかな街だ。駅の近くには川が流れ、休日には家族やカップルが散歩に来ている。アコースティックギターで歌を歌う人やDJブースを構えダンスしている集団もあった。

先日目にした、「棚橋祐介」というキーワード。ネットで調べてみると、二子玉川のkohoro(コホロ)というギャラリーで現在展覧会を開催しているということが分かったのだ。どうやらまだ20代後半の若手作家という情報もあった。

kohoroは実に、清潔で健康的な雑貨店だった。二子玉川という街に住む人々の理想の生活がぎゅっと詰まったようなモノ、そしてインテリア、そしてスタッフ、お客さん。ここに集う人たちが漠然としたある1つの健康で清潔で楽しい暮らし、というものを手に入れるという、心地よいオーラが店内に吹く。いまは特に、近代化する前の「あたりまえの生活」や伝統や古典から学んだ「知恵をいかした生活」など、ライフスタイルの見直しが始まっていると感じる。

店内に商品としてかけられていた竹ぼうき。そういえば古い日本の民家であるおばあちゃん家にあったなと、こういう感じが二子玉川という東京にころがっていること、これは良く考えてみると不思議な感じがする。

それはそうと、話は「棚橋祐介」である。kohoroはそれほど広くは無いが店内の3分の2ほどのスペースを使って作品が展示されていた。ぼくが見た、あの貫入のパターンの大皿もあったし、その他、ボウル、小皿、花瓶、カップなどがあった。ミッドタウンで見たときの印象ほどは、強いインパクトが無かったものの、不思議な世界観を持つ人だと改めて感じた。そして、ひとつ購入してみた。冒頭の写真のカップである。

買って帰ってみて、包みから出してみると、なにかもの悲しいうつわだなと感じた。しかし、この「もの悲しさ」はどこと無く「侘び」という言葉を連想させ、単純化すれば、洋食器の侘び、という世界観と言えるかもしれない。例えば、金継ぎデルフト陶器(庶民が使っていた無地で白い釉薬のもの)と似た、侘びという感覚に近い。と書いてみると、侘びよりも「生活感」という言葉のほうが近いかもしれない。それも中世ヨーロッパ、庶民の生活感。

korohoという空間をよくよく思い出してみる。ここは日本の伝統的な古民家でもなく、産業革命以後のハウスメーカーの家でもなく、いわゆるガラスケースと棚だけが目立った商業用ギャラリーでもない。特に何があるわけでもない質素で清潔な庶民的な部屋である。

もういちどゼロからきちんとした生活を作り上げていくと考えたら、単純でシンプル、何もない部屋から始めようと考えるのは不思議でない。平然としたインテリアの背後に、意外と強固な思想が横たわっていることを読み取れなくも無い。

そんな空間、そんな生活に合ううつわは?と問われれば、いままさに展覧会を開いていた棚橋さんのうつわが、そのひとつの答えなのだろう。



参考URL kohoro

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